プログラムノート

2021年11月19日の演奏会形式公演より

文:小林伸太郎

 

 今回の出演者リストを見ていて、ふと思った。もしかしたら、ニーノ・ロータがフィルムスコアで最も知られている作曲家であると認識している出演者は多くないのではないだろうかと。彼が亡くなったのは1979年だから、彼の作品を同時代の作品として体験している出演者はほぼ皆無と思われる。彼の作品を、映画音楽作家の作品という色メガネで捉えることもないかもしれない。

 

 ロータが亡くなった年、筆者は小学生だったはずだが、映画評論家の淀川長治氏が 「(ロータが亡くなって)フェリーニが困るでしょうね」とおっしゃっていたことを覚えている。ロータがフェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティ、フランコ・ゼフィレッリといったイタリア映画の巨匠たちに多くの楽曲を提供したことも、この時に知った。父が所有していた尾崎紀世彦が歌い上げる「ゴッドファーザー」 《愛のテーマ》のオリジナル作曲家であることも、「太陽がいっぱい」や「ロミオとジュリエット」などの旋律もこの人の作品であることを憶えていった。ウィキペディアには彼が楽曲を提供した映画として171作品がリストされているが、イタリアのみならず、インターナショナルに活躍した彼のフィルムスコアを聴いたことがない人の方が少なかった時代があったのだ。今回演奏される「ゴッドファーザー」「道」「フェリーニのアマルコルド」といった作品のための曲からも、彼のメロディーメーカーとしての素晴らしさが伺うことができる。

 

 しかしロータの活躍は、フィルムの世界に留まらなかった。いわゆる天才少年だった彼は、11歳でオラトリオ、13歳でオペラを作曲し、ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院で学んだ後、トスカニーニの勧めもあって1930年に米国にわたり、 カーティス音楽院で指揮および作曲を学んでいる。クラスメートには、後に作曲家として大成したジャン・カルロ・メノッティ、サミュエル・バーバーがいたといい、アメリカが生んだ20世紀最大の作曲家の一人、アロン・コープランドとも親交を結んだという。帰国後、ミラノ大学で文学と哲学を学んだ後、教師としてのキャリアをスタートさせた。1950年から76年までローダがディレクターを務めたイタリア南部、バーリの音楽院で学んだリッカルド・ムーティは、音楽の全てをロータから学んだと語っている。

 

 いわゆるクラシック音楽の作曲家としては、オペラ10作品、バレエ曲5作品を含む数多くの作品を残しており、「8½」組曲のような映画音楽をシンフォニックに編曲したものを含め、ロータの楽曲はクラシック音楽の舞台で現在もかなりの頻度で演奏されている。 オペラ作品として最も上演の頻度が高いと思われる「フィレンツェの麦わら帽子」(1955年)は二度映像化されており、フアン・ディエゴ・フローレスらが出演した1999年のスカラ座のプロダクションは、比較的見る機会を得やすいと思う。日本では国立音楽大学オペラ・プロジェクトが、2011年から彼のオペラを立て続けに上演している。

 

 今回演奏される《内気な二人》と《神経症患者の夜》は、もともとラジオ放送のために作曲されたラジオ・オペラというジャンルに属するオペラだ。19世紀から20世紀初頭に最大の娯楽であったオペラが、20世紀初頭には商業使用されていたラジオに注目したことは想像に難くなく、最初のラジオ・オペラは1925年にBBCが放送した「The Red Pen」だとされている。1930年代にピークを迎えたラジオ・オペラは、第二次世界大戦後、おそらくテレビの普及とともに減っていった。しかし音だけで聴衆の想像力に訴え、時空を自由に駆け巡ることができるこのジャンルに魅力 を覚える作曲家は少なくないようで、21世紀になっても新しい作品が生まれ続けている。コロナ禍を経験した今、音だけの配信に集中したジャンルにインスパイアされるアーティストと聴衆は、むしろ少なくないのではないだろうか?

 

 《内気な二人》(1950年)は、コメディア・リリカ(抒情喜劇)と称された一幕物で、お互いに思いを寄せる二人が、自分の気持ちをはっきりと相手に伝えることができないが故に、とんでもない結末になるという「喜劇」である。登場人物がシリアスになればなるほど、外から見れば喜劇的になるという、いわば「喜劇」の王道であるストーリー。彼らのシリアスさは、プッチーニに繋がるはち切れんばかりにエモーショナルで哀愁ある美しい歌で語られる。

 

 第二部の最後に演奏される《神経症患者の夜》も1950年に作曲された一幕物だが、初演は1959年11月のRAIラジオによる放送だった。不眠症に悩まされる神経症患者が両隣の部屋も借りて静けさを確保して眠ろうとするも、ポーターが両隣を貸してしまい眠れないまま夜が開けるというこの作品。設定自体も現代的で、なんともシュールな感じがする「喜劇」だ。この種のオペラのクラシックとしてイタリアではしばしば上演されるという本作品、牧歌的でさえある《内気な二人》と同じ年に作曲されたというのも興味深い。そのコントラストは、ロータのパレットの豊かさの証であると言えるのかもしれない。

 

 1959年にイタリアのスポレートで初演された《自動車運転教習所》は、登場人物が「彼女」と「彼」二人だけの親密な作品で、イタリア語のサウンドならではのチャーミングな会話が楽しい。今回の上演とは関係ないが、オリジナルのマテリアルとオーケストレーションが喪失したため、2010年にシエナで上演された際は、トスカーナ管弦楽団がブルーノ・モレッティに委嘱してピアノリダクションから起こされたオーケストレーションが使われたという。

 

 今回の演奏は、3本に登場するテノール3役を一人の歌手が歌うという。確かに《内気な二人》の内気なヒーロ、ライモンドも、《自動車運転教習所》の礼儀正しい「彼」も《神経症患者の夜》の「彼女」とラブラブな「彼」も、同じ男性の類型と言えるのかもしれない。それを山本耕平さんという伸び盛りのテノールがどう体現されるのか、とても楽しみだ。

 

 また、全作品を指揮するウバルド・ファッブリ氏の存在には触れないわけにはいかないだろう。ペーザロのロッシーニ音楽祭などで数多くの歌手、音楽家と関わってきた彼の作る音楽に触れると、当たり前のことなのかもしれないが、言葉は音楽そのものであることを今更ながら実感する。これはイタリア・オペラに限ったことではないのだが、ロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニと続く伝統の中でニーノ・ロータ作品を捉える彼のような才能に触れることは、歌手をはじめとする音楽家にとっても、聴衆にとっても、何物にも代えがたい豊かな経験となる。そういったベーシックを、今回の企画のように確実に踏まえることは、今だからこそ大切なのだと思う。

 

 この奏楽会による企画は、コメディばかりを集めたというところも素敵だ。コメディは、とりわけ演じる側に、オトナの感覚と経験とともに、子供のような柔軟性が要求される難しさがあるが、全てがシンクした時に得られる喜びは、格別のものがある。今のご時世、心が硬くなりがちかもしれない。しかし観客の皆さんも、そして演奏家の皆さんも、劇場の中では全てを解放させて、ニーノ・ロータの贈り物に浸りきり、柔らかな心を取り戻しましょう!

 

 

注:本プログラムノートは、2021年11月に奏楽会主催で行われた同プログラムの演奏会形式コンサート「ニーノ・ロータのラジオオペラ」プログラムより転載しています。昨年の公演も出演者はほぼ同キャストでの上演でした。